
練りに練った設定(脚本ではない)、ゴジラのみならず日本の特撮映画全般に対する気配りと敬意と愛情。
監督2作目でよくぞここまで…と感心はするのですが、何でしょう、このモヤモヤ感は。
(2014年/ギャレス・エドワーズ監督)
原水爆実験の記録フィルム、その背景に映っている巨大な背びれのようなもの。
実は50年代米ソの核実験は開発競争ではなく、あるものを殲滅するための攻撃だった…この大嘘は“買い”。

そして1999年。フィリピンのジャングル地下で発見された巨大生物の化石とふたつの卵のようなもの。ひとつは既に孵った後。
更に時が流れて15年後。物語は今の日本では絶対に描けない富士の麓の“原発ハザード”で幕を開けます。

以下、公開中なのでストーリーは割愛しますが、プロットのベースになっているのは“平成ガメラ”。「大怪獣空中決戦」のリメイクと言っていい展開です。
本作の(構成上の)良い所を挙げておくと、
- 余計な事をする民間人が出てこない(←これ、すっごく重要)。
-
初手からバーサスというフォーマットを持ってきた(両刃の剣ですが…)。
宜しくない所は、
-
新鮮味ゼロの家族愛(またかよ…)にすがっている。
-
対ゴジラ戦略に“日米の英知結集”な雰囲気がまるでない(レベル的には「メガ・シャークvsジャイアント・オクトパス」のすちゃらか博士&すっとこ提督と変わらない)。
-
米国が相変わらずいかなる状況にあっても核さえあれば何とかなると思っている。
最後の奴は意図的な皮肉だと思えばプラスポイントですが、どうなんでしょ。
結局、この親子二世代に渡る陳腐な家族愛(と言うか夫婦愛)が話のテンポを乱し、123分という尺を実際以上に長く感じさせてしまう事に。
演出上の評価ポイントは、やはりゴジラを“見せない”というジョーズ方式の採用と音楽センスの良さ。
特殊部隊がパラシュート降下する際の使用曲がリゲティの“レクイエム”。
勇ましい系の音楽にしても良い所を敢えてこの曲にする事で、神話チックな荘厳さが加わりました。

で、ここからの説明が難儀なのですが、観終った後のモヤモヤ感の理由を整理してみます。
まず、ゴジラの位置づけ。
地球の生態バランスを維持する(人間はどうでもいい)守護神という位置づけは、ガメラならアリですが、ゴジラだと…。
どうしてもゴジラ=日本独自の土着神(善と悪を超越して荒ぶる神。土着神であるが故、同じ土着神のキングコングとは親和性が高かった)という勝手な思い込みがあるので、「いやあ、そんな惑星規模の話をされてもなあ…」。
次に画面(えづら)。
確かにタメにタメて大見栄切った咆哮、待ってました!な放射熱線など見せ場は多いのですが、何故かどれもグッと来ません。
例えば平成ガメラ。飛び立った幼生ギャオスを、海中から仁王立ったガメラが片手で叩き落としたあの瞬間。
甲羅が高速回転して宙に舞ったあの瞬間。
ギャオスの超音波メスを真っ向勝負のプラズマ火球で打ち負かしたあの瞬間。
そういう「おおお~!」となるシーンが無いのです(天高く振り上げたシッポを真下から捉えたショットと“口移し放射熱線”は、「お!」でしたが)。
CGに関してはビルの質量感がなあ…。とてつもなく重たいものが崩落して地面に叩きつけられるという感じがオープンセットに負けている…。
エンドクレジットで冗談じゃない数の名前がCGその他エフェクト担当として表示されますが、結局、樋口ひとりに敵いませんでした。
あ、何か「ガメラ」が観たくなってきたぞ…。