宇宙の理を書き換え、時間を、空間を超越する存在を何と呼ぶか、と言えばやはり『神』でしょう。
これが違う監督の作品だったら、“これはキューブリックとは異なるアプローチで神への道を探ろうとした野心作なのではあるまいか”とか思ったかもしれませんが、べッソンと聞いた瞬間、“ああ、風呂敷畳めなくなったのね”。
Netでは“インド哲学の心得があれば腑に落ちる”とか“日常を表層的にしか捉えられない人にはつまらなく映るだろう”みたいな『この映画が理解できる俺かっけー』なレビューが散見されましたが、いやいやいや、普通に大馬鹿映画でしょう。
「LUCY/ルーシー」
(2014年/リュック・ベッソン監督)
人間の脳は10%しか使われていない。もし、100%使えてしまったらどうなるか、という『おいおいおい、いきなり出発点から間違っているぞ』な赤点スタート。
台湾で覚醒剤取引に巻き込まれてしまったルーシー(スカーレット・ヨハンソン)。
お腹に肉体ポケット作られて覚醒剤収納、そのまま運び屋に。
ところが、体内で袋が破けてお薬流出。ルーシーの脳みそが(文字通り)覚醒。10%を越える脳の有効活用が出来る歩留まりの良い身体に。
要するにオーバードーズで超人になった、と。それって倫理的にマズくね?
で、脳が使えるようになった瞬間、物理法則まるっと無視。
ううむ。例えば、計算能力がとんでもなく速くなるとか、見た物全てを写真的に記憶していくとか、訓練無しに理屈を実践できる身体能力が身につく、とかまでならまだ分かるのですが、重力に逆らう、テレキネシスが使える、他人を操ることができる、あらゆる媒体に任意に接続することができる、人体組織を変容することができる、とかになるとちょっと…。
挙句、時間も空間も超越して神になる…すげーなあ脳。
マシーンの如く死体の山を築いていく割には、台湾マフィアのボス(チェ・ミンシク)は殺さず見逃しちゃうし、指の一振りでフランス警察を瞬時に倒した↑くせに、クライマックスのマフィアVS警察の銃撃戦は放置↓(警官無駄死に)。
どう観ても「攻殻機動隊」+「AKIRA」をやりたかっただけとしか思えません。
ここに「イノセンス」っぽい哲学の香りを振りまけば、『あ、俺も頭良さげな映画撮ってるう!』な満足感にも浸れるでしょう。
“創られた神”“超人の力を得た人間の末路”といったネタは何十年も前に星新一や平井和正がショートショートで取り上げていたものなので新鮮味はありません。
馬鹿映画と割り切って、ヨハンソンの草薙素子リハーサルに付き合ってやるくらいの気持ちで観れば、飽きずに楽しむ事はできます。
しかし、本当にやるのかハリウッド攻殻。