人間が縮んでいく。タイトル通りの内容ですが、本作のキモはそのアイデアではありません。勿論、その原因(放射能だの殺虫剤だの)でもありません。
普通思いつくオチはふたつ。元に戻るハッピーエンドか、主人公の死によって幕を閉じるバッドエンドです。
しかし、本作(とその原作)はそのどちらでもない“第3の結末”を迎えます。
これは宇宙を知る物語。
「縮みゆく人間」(1957年/ジャック・アーノルド監督)
ある朝、スコット(グラント・ウィリアムズ)に起きた異変。ズボンのサイズが合わない。シャツの袖が長い。気のせいか。妻とキス。いつもなら背伸びしていた妻がつま先立ってない。
私は縮んでいるのか?
一旦は新薬によって97cmで下げ止まったものの、再び縮小。手乗りサイズとなったスコットにはもはや妻は見上げる巨人。
可愛かった飼い猫ですら残忍な捕食者。
人間に知覚されない(声も届かない)大きさになったスコットは地下倉庫で孤独なサバイバルを。
地下の主は蜘蛛(猫より怖いです)。アーノルド監督は「世紀の怪物/タランチュラの襲撃」(1955年)も撮っているので、扱いは手馴れたもの。
最初は悩み、苦しみ、周りに当り散らしていたスコットが、人と認識されなくなった辺りから人としての尊厳と自信を取り戻していく過程が素晴らしい。
原作では、主人公が計算上、身長がゼロになる(無に帰す)日に向かって縮み続け、遂にその瞬間を迎えますが、ゼロの向こうにも世界が、宇宙がありました。
本作の脚本は原作者リチャード・マシスン自ら担当しているので、バッドエンドと言っていい結末にもかかわらず、荘厳さを湛えた人間讃歌になっています。
にしても50年代のSF映画は面白いなあ。突拍子もない話も茶化す事無く真面目に作っている。サイエンス・フィクションを作っているんだという矜持の現われでしょうか。
ジャック・アーノルドは「大アマゾンの半漁人」の監督として有名ですが、「モノリスの怪物/宇宙からの脅威」(1957年)の原案とかも手掛けています。