菅原文太で1本…は無理なので5本選べと言われたら、「ボクサー」「太陽を盗んだ男」「ダイナマイトどんどん」「県警対組織暴力」そして、
「鉄拳」(1990年/阪本順治監督)

家族から見捨てられた元ボクサー(文太)。事故で右拳がお釈迦になった若手ボクサー(大和武士)。両者の再起を描くという骨子は77年の「ボクサー」と被ります。
そのまま王道の再起ものとして終わっても十分面白くはなったでしょう。

リハビリ中の音楽がちょっとフラワー・トラベリン・バンドっぽくてアガります。
が、どういう訳か終盤近くからあらぬ方向に舵を切り始め、本道を逸脱したストーリーは仮面ライダーかウルトラファイトか、というカオスに向かってまっしぐら。
鍵を握るのはシーザー武志率いる町の掃除人。
こいつら『俺の町は綺麗でなきゃならないんだよう!』という捻じ曲がった正義を振りかざして、チンピラから障害者まで“人としての完全性”に欠ける者を次々駆逐していく勘違いジャスティス軍団(そこはかとなく三島由紀夫と楯の会を連想させる)。
彼らと拳で語り合う文太と武士。不自然を重ね焼きしたクライマックスは最早ファンタジーの世界。
警察に通報1本で終わる話かもしれませんが、そんな事して誰が喜ぶ? 不自然さよりも画的な面白さを優先した判断は絶対的に正しいのです。
語りつくした後に満身創痍で食べるうどん(かっぱらって来た上にのびきっている)、それは魂の打ち上げ。
本作と次作「王手」。この2作を撮っていた時、間違いなくこの監督には才がありました。一体どこに捨ててきてしまったのでしょう。
★ご参考