『本土決戦となれば、桜はもう咲かないね…』
文字通り「日本のいちばん長い日」を分刻み秒刻みの緊迫感で描ききった岡本版と比べ、こちらは鈴木内閣の組閣まで時間軸を戻しています。
岡本版では障害物無しにはカメラが正面に回り込むことすら許されなかった昭和天皇と、鈴木貫太郎、阿南惟幾の3名を物語の主軸に据えてる都合上、致し方のないことではありますが、この人間性に重きを置いた構成が、“その日”の事件性を希薄かつ散漫なものにしてしまいました。
「日本のいちばん長い日」
(2015年/原田眞人監督)
原作が同じとは言え、監督の演出方針がまるで違うので比べる事に意味はないのですが、それでも“喰い足りない”のは動かしがたい事実。
日本のいちばん長い日は日本のいちばん暑い(熱い)日でもあったわけですが、なんでしょう、この涼しげな風景は。
岡本版では押さえても押さえても溢れ出る汗、背中一杯に広がった汗染みに男たちの苦悩と焦りと狂気を垣間見ることができましたが、何故かこっちは誰も汗をかいていません。
のべつ幕なし蝉時雨のSEを流して「はーい、今は夏ですよー」というメッセージを伝えてはいるのですが、どうみても景色は秋。過ごしやすい爽やかな気候です。
役所広司は山本五十六に続いて三船を継ぐ役どころ(終戦絡みという意味では「ローレライ」なんてのもありましたがノーカンです)。
三船と比べるのは酷かもしれませんが、やはりオーラが違う、目力が違う、存在感が違う。
何でも家族の話として綺麗にまとめようとする姿勢も戦後民主主義の悪しき影響って感じでどうにも居心地が悪い(一言で言えば女々しい)。
玉音にまつわるサスペンスにはあまり興味がなかったのか、ノリもテンポもテンションも今ひとつ(むしろ蛇足って感じの扱い)。
主要3名を正当化するために、戦争継続派の東条、大西がやたら悪役然とした扱いになっていたのもちょっと…。
ただ、岡本版で黒沢年男が演っていた畑中少佐(陸軍省軍事課員)を演じた松坂桃季はそこそこ頑張っていたと思います。もうちっと彼の演技が報われるような演出であったらなぁ。
無性に岡本版が観たくなりました。