言語との相性…どうしてフランス語と自分はこんなに相性が悪いのだろう。
持って回ったフランス語の独白が聞こえた瞬間に走るこの嫌悪感は何だ。
続いて“♪HOME IS NOT A HARBOR(家は優しい港じゃない)”と思わせぶりな歌詞を声張り上げて歌う主題歌(これは英語。「バグダッド・カフェ」のCALLING YOUを100倍あざとくした感じ)を聞いて轟沈。一時停止。
クセのないカナディアン・クラブでちょっと濃い目のハイボールを作って一息。
普段なら間違いなく鑑賞中止コースですが、ここでリタイアしたら負けなような気がして再生再開。
「たかが世界の終わり」(2016年/グザヴィエ・ドラン監督)
34歳の売れっ子作家ルイ(ゲイ。ギャスパー・ウリエル)が12年ぶりに帰郷。
目的は自分が不治の病に冒されて余命幾ばくもないことを家族に伝えること。
総天然色な化粧をして息子を出迎える母。幼い時に別れたきりで再会を楽しみしている妹。周りすべてとソリが悪い兄と初対面になる兄嫁。
出演者はこの5人のみ。
近づかず、向き合わず、すれ違う。埋められない家族との距離。言い出せぬ告白。
緊張感溢るるディスカッションドラマ、みたいな評価の作品(カンヌ国際映画祭グランプリ、セザール賞監督賞その他)なのですが、スノッブが好みそうな作品だなぁというのが正直な感想。
家族との距離、異分子の違和感とかなら「メランコリア」の方がはるかにヒリついていましたし、ディスカッション・ドラマと言うなら「日本の夜と霧」(全員で糾弾し合うが誰も相手の話を聞いていない、という点で本作と通底)くらいのレベルにないと…。
乱暴な言い方をするなら、「悪魔のいけにえ」冒頭の車内のような無意味なやりとりが90分続くようなもので、自身の感性の鋭さを鼓舞し続けないとランニングタイム以上のランニングを強いられることになります。
やっぱりフランス映画(人でなしホラーを除く)とは相性が悪い。
★ご参考