『山上光治が死んだで。警察に追われとったろ? 逃げ切れんようになっての、隠れとった家の風呂場の中で…ズドン!じゃ』
これは小沢仁志が(「仁義なき戦い 完結篇」で北大路欣也が演じた)三代目共政会会長・山田久を演じた「広島やくざ戦争」冒頭の台詞。
山上光治は「仁義なき戦い・広島死闘篇」で北大路欣也が演じた山中正治と同一人物。
今回はこの山上光治を小沢仁志が演じます(この人、竹中正久も演ってますし、有名どころ総舐めにする気でしょうか)。
「新・広島やくざ戦争 武闘派列伝 伝説の広島極道 山上功治の生涯」(2002年/辻裕之監督)
この手の実録モノはいい加減、実名表記にしてください(説明が面倒くさい)。
「広島死闘篇」が前作「仁義なき戦い」の時間軸を崩せないという事情から、背景を10年ほど繰り下げているのに対し、こちらは史実に則って終戦直後の闇市からスタート。
闇市で洋モクのバルク販売を始めた事で市場を仕切るテキヤの村西組(モデルは村上組)と事を構えることになってしまった山上。
村西組組長・村西正春(モデルは村上正明)は山上に凄絶なリンチを(ピッケルで側頭部一撃。普通死にます。演出かと思ったら実話でした←頭の穴は生涯塞がらなかったそうです)。
瀕死状態にあった山上を博徒の岡島組(モデルは岡組)が助けたことから、山上は岡島組に身を寄せる事に。
山上の得物は38口径ブローニング1910だったそうですが、劇中では南部十四年式(写真左。右は北大路欣也と44マグナム)を使用していました(自決時は別の銃)。
村西組組長・村西正春というのは、「広島死闘篇」で千葉真一が演じた大友勝利と同一人物なのですが、今回演じたのは事もあろうに 竹内力。
これはいけません。基本、竹内力の演技は“着ぐるみ無しのスーツアクター”。本作も例外ではなく「カオルちゃん」と区別がつきません。
『広島にヤクザはふたつもいりゃあせんのじゃあ!』と大友リスペクトな台詞をかまして登場しますが、動きがゴジラなので滑りまくり浮きまくり。
村上正明という人は後の共政会の立ち上げにも関わる人なので、ここで山上に殺されるわけにはいかないというストレスもあって消化不良なキャスティングでありました。
ただ、彼の“悪目立ち”を除けば、しっとりとした人間ドラマであったと思います。
特に岡島組長の姪(「広島死闘篇」に於ける梶芽衣子)とのラブロマンスは文芸大作の趣きすら(すみません、褒めすぎました)。
あとですね、ものすご~く気になったのが山上の出自。
本人の口から自虐的に2回、組長の口から指弾的に1回、都合3回発せられた「つがやま村の出身」という言葉。
死にかけている被爆者ですら思わず背を向けるその地名。
Googleで「つがやま村」と打ち込むと真っ先に山上光治のWikiが上がってきます。しかし、そのページの中に「つがやま」の文字はどこにも。
山上の出身に関しては「広島県山県郡八重町(現:北広島町)」という記述があるのみ。
八重町が生まれたのは大正11年(1922年)。八重村が町制施行して八重町になりました。
八重村が出来たのは明治22年(1889年)。町村制の施行により石井谷村はじめ8つの村が統合されて誕生(この中につがやま若しくはそれに類する名前の村はありません)。
恐らくかつてのWikiのページには山上の出身地に関する記述があったのでしょう。それがどこかのタイミングで削除され、検索エンジンにのみ当時の記載文章の名残が残っていたのではないでしょうか。
何故、山上の出身地が禁忌なのか。何となく想像はつきますが、口にしてはならない「禁じられた言葉」なのでしょう。
進駐軍、三国人、日本人、やくざ、被爆者、さらにその下。当時の日本に残っていた階級差別をも切り取っていた…挑戦的な試みであったのではないかと思います。
最後は史実に則り、口中ではなくこめかみに1発。
★ご参考 【因みに本日8月6日は広島平和記念日(広島原爆忌)】