デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

至福と歓喜の40分。 砂の器[1974年]

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『こんな顔の人は知らない? じゃこの人に良く似た人、例えば6つか7つの男の子であなたのよく知っている人に置き換えても・・』

『知らねえ!そんな人・・知らねえ!う、うああぁう!』

嗚呼、何もかもが素晴らしい。

 

砂の器(1974年/野村芳太郎監督)


事件の捜査が刑事の天啓的直感に支えられているという難はありますが、んなこたぁどうだっていいんです。

ピアノと管弦楽のための組曲・宿命”、そのピアノのイントロから、場面が演奏会会場から村を捨てざるを得なかった親子の旅路の回想へジャンプする瞬間は何度観ても(本当に何度観ても)全身の毛穴が開きます。

類人猿の投げ上げた骨が一瞬で衛星軌道に浮かぶミサイル・ポッドに変わるあの瞬間と肩を並べる、いやそれ以上の名シーンです。

そして、ここから始まる40分-宿命だけをBGMに、回想、捜査本部、演奏会会場が同時進行するクライマックスは正に至福と歓喜のサンドイッチ・ラリアット

『今西さん、和賀は父親に会いたかったんでしょうね』

『そんな事は決まっている!・・今彼は父親に会っている。彼はもう音楽…音楽の中でしか父親に会えないんだ』


きちんと演技をしている丹波哲郎の素晴らしさをしかと見よ。

そして実は終盤にしか登場しない緒方拳の何と言う存在感。

演技も演出も忘れちまった今の邦画界では再現不能世界遺産です。何年か前に仲居くんがテレビで演ってましたが、ライ病に背を向けた時点で「砂の器」ではありません。

そう言えば高校時代、映研の仲間が「亀田に行く」と言い残して旅立って行きましたが、無事辿り着けたのでしょうか(って何十年前の話してんだよ、元気か池さん)。