「この予算でどうやって撮れと言うんだ?」(川北紘一)
邦画斜陽、組織リストラ、技術者大量離脱、経費激削減、ダメ押しで円谷英二死去。
人も金も時間も無い…壊滅的な、あまりに壊滅的な状況。
しかし、時に最悪は奇跡の引き金になります。
まずはお約束。ゴジラから軽く100万光年は離れているオープニングの主題歌「かえせ!太陽を」で悶死しましょう。
“♪水銀、コバルト、カドミウム(中略)
みどりを 青空を かえせ かえせ
青い海をかえせ 命を 太陽を かえせ
かえせ かえせ かえせ かえせ”
立ち直る隙も与えず、サイケデリックなゴーゴーバー。お立ち台で踊っているボディペイント・スーツ姿の女(ヒロインだぜ!)、その足元でラリった目つきで飲んだくれている男(主役だぜ、一応)というドラッグ映像で畳みかけ。
ヘドロの海、田子の浦から生まれた不定形なヘドラをゴジラがジャイアント・スィングで振り回したら、遠心力で千切れヘドラが四方八方。
そのひとつが雀荘を直撃。哀れマージャン親父たちはヘドロ被ってご臨終。悲鳴だけで終わらせずに、凄惨な現場をきっちり映す所が好感度大(写真3段目)。
ヘドラが工場の煙突くわえてスモッグ吸引しながらうっとりと目を細める様は完全に阿片中毒者。
更に飛行形態に進化したヘドラは硫酸ミスト撒き散らして街を一瞬でモルグに。
ビル工事現場作業員はそばをヘドラが通り過ぎただけで墜落。地面に着くまでに白骨化。その後、鉄骨が全て錆びて崩落というダメ押し演出。
「富士市西南部はほとんど壊滅に近い状態であります。現在までのところ、死者1600、怪我乃至発病者は3万を越えると推定されます」
かつてここまで具体的な死に様・死者数を提示した作品があったでしようか。
しかし、この作品の真に凄い所は公害の源である企業や工場の糾弾よりも、公害を風景のように捉えている大人や、こんな状況にあって尚、正義よりも「若さの爆発」的発散に注力する若者たちを優先して描いている所です。
当然、彼らの傲慢は“制裁”によって報われるのですが、主役の青年(柴本俊夫←当時)まであっさり死んだのには驚きました。
要所要所で挿入されるアニメ、「マトリックス・リローデッド」より32年早い“マルチ・モニター”、ゴーゴーバーの客が全員魚顔になるバッド・トリップ、ヒーローではなく地球の生態系を守る守護神という“平成ガメラ”的スタンスのゴジラ…。
この“やりたい放題し放題”な感じは、三池監督の「デッド・オア・アライブ」を思わせます。
ゴジラシリーズの中で繰り返し観たいと思う作品は、1作目を除けば本作だけです。
強いてもう1本挙げるなら「ゴジラ対メカゴジラ」(1974)でしょうか。いずれも保守本流から外れていますが、だからこそ推したくなるのかもしれません(判官贔屓?)。
ところで、本作エンドマーク直前に挿入される葛飾北斎の「神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)」、ありゃ一体何の隠喩なんでしょう。
もし、これが「東海道江尻田子の浦略図」なら、相関が分かるのですが…。
★ご参考