デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

スペアパーツという存在理由。 わたしを離さないで

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イギリスの田園地帯。外部から完全隔離された寄宿舎。

牧歌的な風景の中で遊び、学び、恋をする少年少女。

しかし、彼らには生まれながらにして背負わされた重すぎる十字架が。

 

「わたしを離さないで」
(2010年/マーク・ロマネク監督)


緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。ここで暮らす生徒らは外の暮らしを知りません。

飲食店を舞台にしたお芝居の授業。演技の勉強? いいえ。どのように振る舞えば良いのかのシミュレーションです。

彼らに親はいません。兄弟も。親戚も。知人も。

彼らはどこの誰とも知らないオリジナルからコピーされた誰かのための義肢パーツ。

生まれながらのドナー達。

ここで育ったキャシー(キャリー・マリガン)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)、ルース(キーラ・ナイトレイ)の3人の幼少期とその後の短い人生をキャシーの視点で朴訥に語る静かなSF映画です。

誰かのために臓器を提供する。死ぬまで。何度も。

そんな人生を受け入れる事が可能でしょうか? どんな諦観を涵養すればそのような境地に辿り付けるのでしょう。

自分のオリジナルが誰なのか知りたい、という欲求、真に愛し合っている事が証明できれば提供の期間を猶予されるという伝説にすがる生への希求…。

間違ってもこんな人生は御免こうむりたい。が、こういう死の受け入れ方、達観の仕方はアリかもしれない。

ふと、星新一の「処刑」という中編小説を思い出しました。