“美少女×暗殺者×仕組まれた殺人兵士”というキーワードだけを取り出すと、
『おお、ヒット・ガール×ニキータ×フィアナじゃん!』
となりますが、まあ落ち着いて茶でも一杯。
「ハンナ」(2011年/ジョー・ライト監督)
雪に閉ざされたフィンランドの山中。外界と隔絶した山小屋で暮らす父と娘。
父エリック(エリック・バナ)は、元CIA工作員。知りすぎた男。
エリックは娘ハンナ(シアーシャ・ローハン)に、銃器の扱い、狩り、徒手格闘、外界の知識、様々な言語を伝授。
16歳にしてハンナは完璧な殺人機械に。
そしてやって来た外界へ旅立つ日。それは彼らに生きていてもらっては困るCIAと、特にかつての同僚捜査官マリッサ(ケイト・ブランシェット)と一戦交える事を意味していました。
と書くとすんげー面白そうに聞こえますが、これが実に微妙な出来。
最大の要因は穴だらけ(落とし穴のような大穴が蜂の巣のように空いている)の脚本。
こういう場合は、つるべ打ちのアクションとか、銃火器に対するフェチシズムとか、萌え満開とかで誤魔化すものなのですが、そこをハードボイルドに決めちゃおうなんてしたものだから、下痢腹に浣腸。
何故、エリックはCIAを出奔したのか、ハンナの母とはどういう関係だったのか、エリットとマリッサの間に何があったのか。
敢えてCIA信号を飛ばして居場所を教え、捕縛されるというリスクを犯してまでマリッサの頸を掻こうとしたのは何故か?(そうでもしないとマリッサに近づけないのかと思ったら、エリックはマリッサの自宅知ってるし。だったら自分に都合の良い場所から信号飛ばして、罠でも仕掛けてデコイにして、その隙に本丸攻めればいいじゃないの)。
そもそも彼らがCIAと一戦構えねばならない理由が全く分かりません。
中盤をロード・ムービー(初めて外の世界を知ったハンナが、キャンピング・カーで旅行中の一家の娘と友達になる)にしてしまったのも、全体のバランスを崩しています。
終わってみれば、“デンタル・フェチ”という他に類を見ないキャラ設定をされたケイト・ブランシェットの怖さだけが印象に残る不思議なアクション映画に。
まあ、監督には監督の目論見があったのでしょうが、CIAの陰謀(ハンナの存在自体含む)をマクガフィンとして扱うのなら、(少なくとも中盤以降は)一気呵成な展開にすべきだったかと思います(お手本はフランケンハイマーの「RONIN」でしょう)。
「心臓外しちゃった…」はハンナのキメ台詞(?)ですが、どうも外したのは心臓だけではなかったようです(でも嫌いじゃないですよ、この映画)。
※参考:「68歳の心意気! RONIN」→2008年12月14日