“死なんて真夜中に背中のほうからだんだんと…巨人になっていく恐怖と比べたら、どうってことないんだから”
と、「ねじ式」(つげ義春)で引き合いに出された象徴的恐怖を実体験するハメになった不幸な男のお話です。
「戦慄!プルトニウム人間」
(1957年/バート・I・ゴードン監督)
所はネヴァダ。プルトニウム爆弾の実験エリアに墜落したセスナを救出しようとして景気良く爆風を浴びてしまったマニング大佐(グレン・ランガン)。
全身の95%を焼かれたマニングは生きているのが不思議な大霊界オープン・リーチ。
が、翌朝。包帯の下でマニングの皮膚は綺麗に再生。こいつは奇跡だ!と喜んだのもつかの間、彼の体は徐々に巨大化。
細胞の再生が早すぎ(且つ、古い細胞も死なないために入れ替わらず)、肉体が累積赤字。ただ1箇所、例外が。それは心臓。
全身を支えきれない心臓。巨人化の不安と恐怖から徐々に“壊れていく”マニング。
蜘蛛やら蟻やらが巨大化するのと違い、本人の葛藤があるのが新機軸(結構真面目に作ってるんだわ)。
ご都合主義的大団円を迎えるのかと思いきや、唐突にビターなエンディングに雪崩れ込んでいく辺りはちょいと意表を衝かれました。
終盤の展開はやはり「キング・コング」を意識しているのでしょう。
とは言え、美女を握り締めてエンパイア・ステートビルをよじ登るわけにもいかないので、別の方法で「落ち」をつけています。
マニング用食料を搬入する肉屋がSwiftだったり、TVキャスターの名前がH.WELLSだったりと小ネタも豊富。
恋人が巨人化しても愛せるか?というテーゼは、「ウルトラQ」の「変身」でもトレスされていましたね。
伸縮自在のパンツを履いているあたりは松本人志の「大日本人」…いや、なんでもありません。