前編は自己破産でしたが、後編は完全に分裂、あいや統合失調映画でした。
あんたら一体何がしたかったんだ…?
「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」(2015年/樋口真嗣監督)
もう面倒くさいので景気良くネタバレします。未見でかつ本作を楽しみにしている方は以下スキップしてください。
いいすか? んじゃいきますよ。
リヴァイの代わりに出てきたシキシマはエレンの兄で鎧の巨人でした。リヴァイだけじゃなくライナーも入っていたんですね。
で、シキシマの目的は内側の壁も壊して巨人を乱入させて、現政権を打倒することでした(手下は調査兵団の生き残り←完全に叛乱分子)。
んな事したら、確かに体制は崩れるでしょうが、人踊り喰いで全滅、国の機能も瓦解してにっちもさっちも行かなくなると思いますが、そこいらへんはノープラン。
原作でエルヴィンがどれほどの緻密な計画と権謀術策、そして大胆な賭けをもって現政権の打倒に挑んだのかを思うと眩暈がしてきます。
ハンネスの代わりに出てきたソウダ(ピエール瀧)はエレンの父グリシャの共犯者で、エレンに謎の(恐らく巨人化の)注射をする現場に立ち会っていました。
な~るほど、それで巨人の秘密(うなじに人間が入っている)を知っていたのか。納得、納得…できるかボケ! んな事、巨人のサンプル入手して実証実験しない限り分からんだろ。シキシマで試したんかい? 壁の中で巨人化させて? 無理だろ。
原作では悲壮な決意と共に巨人の力をエレンに託したグリシャでしたが、映画では完全に興味本位の人体実験。「爆発的細胞分裂の秘密が知りたかった」んだそうです。
壁外再建団を率いるクバル(國村準)は、中央政権の手先で超大型巨人でした(当然、ベルトルト・フーパーは出てきません)。
役職的にはドット・ピクシスと同じくらいの位置づけだと思いますが、この人がラスボス。壁に穴をあけたのは、国民に巨人の恐怖を植えつけると共に、壁の外に行こうとする“勇敢な”者を根絶やしにして安寧の時代を築くため。
因みに巨人の正体は、人間が作り出した人間、だそうです(兵器開発か何かの過程で生まれ、何かの拍子に世界規模で蔓延した←意味不明)。
で、まあ、こいつらが声高に自分の考えを叫ぶ叫ぶ。舞台でひとりずつピンスポが当たって、大仰な身振り手振りで長台詞を喋る感じ。具体性皆無の中二の主張。どれもこれも上っ面だけの空虚な言葉なのでビタ一文響かない、届かない。
一番驚いたのは、最後に壁の上まで行ったら、目の前に海が広がっていたこと。
そんな近くにあったんかい?! ってか壁の上って見張りやら防衛やら修復やらで駐屯兵団が毎日上ってるはずだろ? そういう基本設定もチャラにしちゃったのか。
原作からの逸脱、改変、改竄理由が「そうした方が面白いから」ではなく、「そうしないと撮れないから(もしくはその方が楽だから)」ってのが本作(前編含む)の駄目駄目なところだと思います。