似たような舞台設定であっても、作り手の意識が低いとまるでお話にならなくなってしまうという典型。
「これはゾンビですか?」(2011年1月-3月/金崎貴臣監督)
謎の連続殺人鬼の刃にかかり命を落としたが、冥界のネクロマンサー、ユー(写真上)の力でゾンビとなって蘇えった高校生、相川歩が主人公。
ユーはそのまま歩の家に居候。ここに魔装少女(写真下)だの吸血忍者だのが合流して大騒ぎ(歩は自分を殺した犯人探し)…ってのが基本骨子。
一介の高校生(ゾンビだけどね)の家に次々転がり込む異界の住人。主人公の両親は世界一周で不在。フルーツバスケットで恋の鞘当。
設定だけ見れば、まんま「這いよれ!ニャル子さん」です。
異なるのは世界観。
ニャル子の場合、クトゥルーの世界観で1本スジを通した上で(クトゥルー神話を知っている人にとってはお約束であっても)キャラの相関に関する説明(ニャルラトホテプとクトゥグア、クトゥルーとハスターの敵対関係など)がありました。
こちらは、冥界、魔界、忍者の里と全く異なる価値観の世界が入れ子になっているにも関わらず、何の説明もありません。
原作では、そこいら辺の合理的(?)解説がなされているらしいのですが、アニメでは完全スルー。潔いにも程があります。
オタクが好きそうなキャラやら設定やらを適当に詰め込んでおけば馬鹿が喰いついてきて金儲けができるだろう、という程度の意識で作っている…ように見えます。
体が千切れても死なない(既に死んでいる)主人公、ある理由から言葉を発せず筆談で会話するユー、ユーを勝手に妹キャラにした主人公の萌え妄想(ユーの台詞は毎回異なる有名声優が担当)…。
題材は悪くないので、もう少し真面目に作れば涙と笑いのホラー・アクションになったと思うのですが、惜しいなあ。
結局、TVシリーズは中盤でリタイア(立ち上がりはまあまあだったのですが、回を追うに従ってグダグダに…)。
続編「~オブ・ザ・デッド」には辿り着けませんでした。合掌。
「これはゾンビですか?」(2011年1月-3月/金崎貴臣監督)
謎の連続殺人鬼の刃にかかり命を落としたが、冥界のネクロマンサー、ユー(写真上)の力でゾンビとなって蘇えった高校生、相川歩が主人公。
ユーはそのまま歩の家に居候。ここに魔装少女(写真下)だの吸血忍者だのが合流して大騒ぎ(歩は自分を殺した犯人探し)…ってのが基本骨子。
一介の高校生(ゾンビだけどね)の家に次々転がり込む異界の住人。主人公の両親は世界一周で不在。フルーツバスケットで恋の鞘当。
設定だけ見れば、まんま「這いよれ!ニャル子さん」です。
異なるのは世界観。
ニャル子の場合、クトゥルーの世界観で1本スジを通した上で(クトゥルー神話を知っている人にとってはお約束であっても)キャラの相関に関する説明(ニャルラトホテプとクトゥグア、クトゥルーとハスターの敵対関係など)がありました。
こちらは、冥界、魔界、忍者の里と全く異なる価値観の世界が入れ子になっているにも関わらず、何の説明もありません。
原作では、そこいら辺の合理的(?)解説がなされているらしいのですが、アニメでは完全スルー。潔いにも程があります。
オタクが好きそうなキャラやら設定やらを適当に詰め込んでおけば馬鹿が喰いついてきて金儲けができるだろう、という程度の意識で作っている…ように見えます。
体が千切れても死なない(既に死んでいる)主人公、ある理由から言葉を発せず筆談で会話するユー、ユーを勝手に妹キャラにした主人公の萌え妄想(ユーの台詞は毎回異なる有名声優が担当)…。
題材は悪くないので、もう少し真面目に作れば涙と笑いのホラー・アクションになったと思うのですが、惜しいなあ。
結局、TVシリーズは中盤でリタイア(立ち上がりはまあまあだったのですが、回を追うに従ってグダグダに…)。
続編「~オブ・ザ・デッド」には辿り着けませんでした。合掌。