『お前は志半ばで死んでいく勤皇の獅子だ!簡単にくたばるな!這って来い、上がってこい、ここまで!』
『銀ちゃん、かっこいい・・』
結局、ヤスが命懸けで階段を転げ落ちる理由は、銀ちゃんを男栄えさせる事なんですよねえ。
だから、かっこいい銀ちゃんをその眼に焼き付けて気を失うヤスは恍惚の極みにいたのではないかと思います。
この後に映画ならではのマジックを魅せて有無を言わさぬ大団円を迎える深作版ですが、元になった、つか版のエンディングはちと悲惨。
ヤスが階段を転げ落ち、口から握りこぶし大の血の塊を吐き出す所でエンド(戯曲は小夏の主観)。
ほとんど投げっ放しジャーマン。これをそのまま映画にしたら後味悪いなんてもんじゃありません。
つかのジメジメとした暗さを人情アクション・コメディに転換した深作の演出は大正解。
脚本書いてるのはつかさんですが、深作の陽因子に引っ張られたのは明らか。同じつか脚本でも、監督が工藤栄一だと陰同士で引かれあって「リング・リング・リング」みたいな陰惨極まりない映画になっちゃう。
監督と脚本家の相性って大事ですね。
では、最後に「誰にでも出来るつか風表現法」をお教えしましょう。
倒置法+擬音の繰り返し。これだけで何かつかっぽい文章になります。
例)『鳴くんだよね、犬がさ。キャンキャン、キャンキャン』
お試しあれ(いや、いつどこで何に試すんだってな事は置いといて)。