私が今観たものは何だったのだろう?
映画・・か?(多分、違うと思う)
「花のあすか組」を観て以来、この監督に演出の才があると思った事はありませんし、「ゼブラーマン」を観て以来、クドカンという人に脚本の才があると思った事もありません。
にしても、こりゃ一体なんじゃらほい。
「カムイ外伝」(2009年/崔洋一監督)
先に断っておきますが、私は原作を読み込んでいる訳ではありません。私にとってのカムイは“♪ひぃとりぃ、ひぃとりぃカムイ~”のアニメ版です。
なので原作との比較なんぞしませんが、普通に映画としてダメダメです。
役者は頑張っています。特に松山くんの身体能力は特筆もの。谷垣健二氏による擬闘(地上対人徒手格闘)も素晴らしい。
でも脚本と演出がどうにもこうにも。
まず山崎努のナレーションが丸々いらない。カムイのモノローグも不要。どうでもいい心象描写まで言葉で説明って、最初から映像表現放棄かい。
じゃ映像は何に使っているかと言えば、ほぼ全編を覆い尽くすCG。これが見事にPS2レベル(でも「鬼武者」以下)。
崔さん、どこかのインタビューで「今回はCGが凄いんだよ!」って大興奮していたようですが、完全に恥の上塗り。
皆さんスーパーマンのように水平滑空していましたが、武侠と忍びの区別もつかんのかい。
カムイが抜け忍となった動機もきっかけも説明無し(生い立ちはオープニングで白土三平の絵とテロップとナレーションで説明・・やる気あんのか?)。
兎に角カムイは抜け忍で追われているんだから感情移入しろ、という脚本家の甘えが露呈。
ネタバレになっちゃうから「真っ白な気持ちでこの映画“のようなもの”を観たい」と思っている人は読み飛ばして欲しいんだけど、
大頭(PANTA)は、カムイを討つために、わざわざカムイが立ち寄るかどうかも分からない島に潜んでいたのかい?
渡衆(人喰い鮫ハンター)の頭(伊藤英明)は、島の人に呼ばれて鮫退治に来たわけですが、「俺たちが着く頃、カムイもその島に来ているはずだ」と考える根拠はどこにあるの?
カムイ殺すんなら、最初に鮫に襲われていた時、見殺しにすれば済む話じゃん。
それをわざわざ助けて、仲間にするための試験までして(この時も殺そうと思えば余裕で殺せた)、そんな大芝居打つ必要がどこにあるのでしょう? 意味が分かりません。
崔さんにはアクションも時代劇も無理。当然「用心棒」なんか論外。今からでも遅くない(遅いか)、監督変えましょうよ、東宝さん。
※その後、この監督による「用心棒」リメイクの話はトンと聞かなくなりましたが、原因は本作の出来でしょうか。であれば、本作を作った意義はある。
※写真(中)は鮫を絞め殺すCG合成前の崔監督。
※ご参考