何でしょう、この清々しさ。この爽快感。
「どですかでん」と「アメリカン・グラフィティ」を足してトイレに流したら詰まっちまったけど、ガッポンしたら流れました的達成感。
傑作です。
「吐きだめの悪魔」(1986年/ジム・ミューロー監督)
まずは“掃き溜め”ではなく“吐きだめ”としたヘラルドさんグッジョブ。
マンハッタン・スラムの底辺。これ以下はないだろうという最低の場所と、これ以下はないだろうという最低の人間。
ベトナム後遺症の男がキレちゃ人を殺し、迷い込んだ女を住民総出で輪し殺し、その全裸死体を発見した奴が「ラッキー」とズボン下ろす、そんな素敵な街の酒屋が地下倉庫で木箱発見。
中身は60年前の酒(ワインという解説が横行していますが、どう見てもウィスキー)。
「飲めるのか、これ・・ま、いいや、安く売っちゃえ」
しかし、その酒は飲むと体がドロドロに溶ける恐怖の酒だった!
で、この酒を中心に話が回るのかと思いきや、酒はスパイスで、専ら日々の暮らしがドラマの中心(心ならずもここに住んでいる若者が一応の主人公)。
“溶ける”と言えば「魔鬼雨」ですが、向こうにはオカルトという一本筋の通った土台がありました。本作には何もありません。全く無い。本当に無い。そこが素晴らしい。
切り取られたペ●スでフットボールに興じる住民。返してくれぇと後を追う持ち主。
画面一杯に大写し&スローモーションで宙を舞うペ●ス。目頭が熱くなります。
頭をすっ飛ばされたベトナム野郎が最期に瞼に焼き付けた光景は自分を飛び越える女のスカートの中。満足そうに息絶える男。涙が止まりません。
このベトナム野郎の女が演技を超えてキ印満開(写真下。現地調達したホンモノか?←追記。女優さんでした)。
最期に溶けるイタリアン・マフィアのボスが、溶けながら「まだまだ!」とばかりに歌うエンディングの俺様ソング「We almost do my way」が最高。
監督は後にカメラマンとして名を馳せるジェームス・マイケル・ミューロー。当時21歳。
若いって素晴らしい。
※参考:「どこだトラボルタ!? 魔鬼雨」→2010年7月7日