デストピア経典~曼荼羅畑でつかまえて(三代目)

B級カルトな特殊映画、ホラーにアニメに格闘技、酒にメタルにフィギュアに銃。日頃世間ではあまり顧みられる事のないあれやこれやを過剰なる偏愛を以てご紹介いたします。

佐々木守の正義とは?② ウルトラマン/怪獣墓場

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ウルトラマンウルトラセブンの最大の違い、それは肌の色…じゃなくて、人格の合一性だと思います。

ウルトラセブンモロボシ・ダンですが、ウルトラマン=ハヤタではありません。

ヒーローと同一人格を持つが故にモロボシ・ダンは苦悩します。

宇宙都市ペガッサを救えなかった事に、超兵器の実験を傍観してしまった事に、マゼラン星雲の少女マヤの自殺を阻止できなかった事に、そして、真の地球人かもしれなかったノンマルト絶滅に加担してしまった事に。

しかしハヤタは違います。ハヤタとウルトラマンが別人格であることは、ハヤタが地底人の催眠に落ちてもウルトラマンは知ったこっちゃなかった「地上破壊工作」、竜ヶ森で紅い球と衝突して以降の記憶が無い「さらばウルトラマン」を見ても明白です。

故にハヤタは苦悩しません。ウルトラマンの蛮行など知ったこっちゃないからです。

ハヤタに代わって苦悩を担当するのはイデ隊員(二瓶正也)。

イデは悶々と悩みます。ジャミラと闘う事に、ウーを攻撃する事に、そして科特隊の無力さに。

しかし、ここに1本、あたかもハヤタが苦悩しているかに見えるエピソードがあります。それが、

ウルトラマン/第35話・怪獣墓場」

(1967年3月12日放送/実相寺昭雄監督)


暗黒の宇宙、怪獣たちの亡霊が漂うウルトラ・ゾーン。そこは怪獣墓場。

自分たちでさんざっぱら痛めつけておきながら、科特隊の面々は口々に同情の言葉を。

「単に力が強いだけで…」「かわいそうだ」云々。

居たたまれなくなったハヤタは中学生のように屋上へ。

「許してくれ。地球の平和のため、やむなくお前たちと戦ったんだ。俺を許してくれ」

これは人間ハヤタの告解ではありません。ウルトラマンが謝罪しているのです。更にナレーションがダメ押し。

“心ならずも葬った数々の怪獣達に対し、ウルトラマンは心の中で詫びていたに違いない”

ヒーローが倒した相手に謝罪する…そんな事があり得るのでしょうか。

あり得るのです。だって脚本:佐々木守ですから(本人については昨日のブログ参照)。

国家権力の尖兵となって、弱者(弱者?!)である怪獣を問答無用で葬り去ったヒーローなぞ、佐々木にとっては唾棄すべき存在だったのかもしれません。

ウルトラマンは日本しか守っていません。日本を守るという事は国体を護持するという事です。そんな事を佐々木が許すはずありません。

佐々木が書いたウルトラマンの脚本は全部で5本。

ガマクジラ」「ガヴァドン」「ジャミラ」「スカイドン」「シーボーズ」です。

真珠価格暴騰という経済混乱を起こしたガマクジラ(好物喰ってただけなのに)。

子供のいたずら書きが実体化した、ただ寝ているだけのガヴァドン

元某国の宇宙飛行士だったジャミラ。ただ重いだけのスカイドン

シーボーズに至っては「いや、わし、来たくて来た訳やないで」。

確かに弱者かもしれません(笑)。

ここで描ききれなかった、ヒーロー=国家の手先、悪人=虐げられた弱者という図式の再確認(とリターン・マッチ)こそが「アイアンキング」だったのでしょう。

本作一番の勝ち組は、佐々木脚本に乗っかってフジ隊員(だけ)に喪服を着せた喪服フェチの実相寺監督ではないでしょうか。