喰い物が無いというのは、こんなにも辛く悲しいことなのか。
喰い物が有るというのは、こんなにも明るく嬉しいことなのか。
エドワード・G・ロビンソンが牛肉を見て涙ぐむシーンではもらい泣きしそうになりました。
地味の暗いのテンポ悪いのと、世評は必ずしも良くありませんが、このどん詰まりのデストピア社会を映像化しただけで拍手喝采です。
「ソイレント・グリーン」
(1973年/リチャード・フライシャー監督)
牧歌的な音楽と共にコラージュされる開拓時代の写真。
やがてそれが産業勃興期となり、車が溢れ、人が溢れ、自然が壊され、戦争が起こり、堰を切った映像が奔流し・・。見事なオープニングです。そして、2022年、現在。
もはや誰もが知っているあのオチは今となってはどうでもいいです。
アパートの階段は家を持たぬ者でびっしりと埋まり、水も食料も配給制、天然のものなどなにひとつなく、全ては宇宙食のような合成食料。暴徒はショベルカーでゴミのように掬い上げ・・。
老人は“本”(←敬っているのではなく、知識ある道具として利用されている)、女性は“家具”(←金持ちまたは高級マンションの付属品)。
一部の富裕層と圧倒的貧困層という図式は、「メトロポリス」から「ランド・オブ・ザ・デッド」まで、繰り返し模倣されるSFの定石ではありますが、ここまで絶望に満ちた世界観はちょっとお目にかかれません。
合成食料を一手に製造・配給するソイレント社の社長が殺された。捜査に当たるのはやさぐれチョイ悪刑事ソーン(チャールトン・ヘストン)。
バックアップする“本”はソル(エドワード・G・ロビンソン)。
事件の背後にある事実を知ったソルは、絶望(キェルケゴール言う所の“死に至る病”)の末、公営安楽死施設「ホーム」へ。
好きな色の光に包まれ、好きな音楽(田園!)を聴き、パノラマ画面でありし日の地球の風景を見ながらの安楽死。
隣室からこの映像を見たヘストンが絶句。
『こんな、こんな美しい光景が…』
『そうとも、言っただろう、何度も…』
ここから事件究明までの展開は脚本も荒っぽく、強引かつ場当たり的で批判されるのもやむなしとは思いますが、ここまでのディテールが素晴らしいので帳消しです。
因みに合成食品は、ソイレント・レッド、ソイレント・イエロー、ソイレント・グリーンという秘密戦隊のようなシリーズで配給されています。ソイレント・レッドを喰ってみたいな・・。